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阪急電車の風景

阪急電車のファンとして鉄道模型VRMを使用して大阪梅田ー十三間の淀川橋梁をわたる京都線・宝塚線・神戸線の3複線の電車をあらわしてみました。いずれも宝塚線から京都線、神戸線を眺めたものですが、3複線区間を阪急電車が走る光景が再現されているでしょうか。017_1 012_1

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懐かしい西宮北口駅で神戸線と今津線が平面交差するところ懐かしい西宮北口駅で神戸線と今津線が平面交差するところです。

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東西私鉄対抗シリーズ 京急対阪急

001 2007年6月10日 (日)改訂

僕が好きな私鉄を選択するとしたら東の京浜急行電鉄,西の阪急電鉄でしょう。画像は鉄道模型シュミレーターVR3を使用して横浜駅風にレイアウトして京急2100系上り、下りと阪急8000系を登場させました。実際はこのような光景は見られませんが、京急はいろいろ写真があるのですが阪急の写真がなく、横浜駅に似た駅に京急と阪急が登場するということになってしまいました。
資料一部 日本民営鉄道協会による。

東の京急

名称 京浜急行電鉄
設立 1898年2月25日

東の京急

名称 京浜急行電鉄
設立 1898年2月25日
資本金 347億円   2005・9・30現在
従業員数4,074人 
連結売上高316,666百万円 17,3現在
営業キロ 87,0㎞
駅数  72駅
保有車両数 758輌
年間輸送人員 424382千人
旅客輸送キロ 6,220百万人/キロ
列車走行キロ 108, 856千キロ

本線   泉岳寺ー浦賀   56、7㎞
久里浜線 堀之内ー三崎口  13、4㎞
空港線  京急蒲田ー羽田空港 6, 5㎞
逗子線  金沢八景ー新逗子  5, 9㎞
大師線  京急川崎ー小島新田 4、5㎞
保有車輌    758輌
車輌区 金沢文庫・神奈川新町・久里浜検車区

特徴
特急を走らせていてリクライニングシートを採用して優等車なのに特急料金を取らないことです。2100系が代表的車輌です。
京急の車輌としては800・1000・1500・新1000系などが挙げられますが、新1000系は2100系と同じ外観デザインであり装備も2100系並でありながら乗客へのサービス向上を図り普通から快速特急まで多様な運用がなされています。
1000系は製造年度も古く最近では一部が北総鉄道・公団線に貸与され、また一部は高松琴平電鉄に譲渡されるなど第一線を退きつつあるようです。
また、創業以来終始一貫として車輌の赤い色を踏襲してきたのも西の阪急と同じです。。
京急は海のイメージがとても強くちょっと挙げただけでも逗子・浦賀・野比・三崎・城ヶ島・油壺などの各海岸があり夏の海水浴客の輸送需要が高く関東では他の私鉄にない大きな特色です。
浦賀は日本にはじめてペリーが黒船で来港した由緒の地としても知られています。
また、京急は品川ー川崎ー上大岡ー横須賀という商業核を持っていることも大きな強みといえるでしょう。
品川は京急パシフィックホテル、京急ウイングなどの商業・飲食・宿泊・スポーツ施設を有して居ります。
川崎は商業中心地です。
横浜は東にそごう、丸井、ルミネなど、西に高島屋、相鉄ジョイナス、さらに東西に地下街など一大商業施設を有しています。
近年上大岡は再開発が進み本格的な京急百貨店が開設しさらに京急ウイングなど複オフィス・商業・飲食機能を有した駅前再開発が進捗し、横浜市の新横浜に次いで副都心機能を有しています。
横須賀は市内繁華街の中心地に駅が位置していて、この点JR横須賀駅が横須賀の外れにある点からも京急に太刀打ち出来ない状況です。
京急の2100系は1998年3月28日に運転を開始しました。2100系の名前のいわれは21世紀にふさわしい車輌という名前で命名されたようです。(wikipedia百科事典より)
僕的には外観デザインが素晴らしく前面運転台のアイボリー板に大きく2100と打ち抜き文字が施されて印象的です。
正面非貫通のように見えますが地下鉄線区間も走行するので貫通ドアが左にあります。
車内も2ドアなのでリクライニングシートも整然と並び優等車に乗ることに誇りと喜びを感じさせてくれます。
西の私鉄はJRとの競合路線が多いせいかまた大阪を中心に京都・神戸・奈良・和歌山といった都市もJRが走っていて速度が速いのですが関東の電車は京浜急行くらいで品川ー川崎ー横浜ー上大岡ー横須賀ー久里浜ー三崎口間の特急は1時間と少しで結んでいます。
京急の大きな特徴は羽田線羽田国際空港・京成成田線で成田国際空港と二大空港に直結していることです。

品川方面と横浜方面から、羽田空港に直結する電車も運転されて、従来は横浜方面から羽田空港に向かう乗客は、
京急蒲田駅で空港線に乗り換えなければならず、不自由だったのですが解消されて大いに便利になりました。

将来、東急目黒線・池上線蒲田駅への延長工事を施して東急・京急との直通運転も計画されていると一時聞きましたが この計画は現在の構造及び線増が難しく実現はできないということも聞いています。
またJRの横須賀線は京急線に横須賀に行くのに太刀打ち出来ない状況です。
なんとなればちなみに昼間はかなりの本数が東京ー逗子間で折り返し運転を行っていて逗子ー久里浜間は短い車輌の編成で京急に完全に食われているといっても過言ではありません。

ほかに京急の特徴としては、
①京急伝統のワインレッドカラーを守り続けている。
他の私鉄が、創業以来、いろいろ車体のカラーを変えてきた中で、京急は伝統のワインレッドカラーを今も守り続けている。

②高速運転は関東私鉄の中でもずば抜けている。
創業時代から京急は高速運転をを大切に守り続けている

③保守技術管理が優れていて横浜ー品川間は平面交差、踏切が多いにもかかわらず大きな事故が発生していない

④関東私鉄にない通勤車輌でリクライニングシートを料金を取らない特急運転を採用している。

西の阪急電鉄

名称 阪急電鉄
設立月日 1898年2月25日
資本金
従業員数 4, 182人
営業総延長距離 146、6㎞
連結売り上げ高 476,623百万円 17,3月現在
営業キロ 146,5キロ
駅数 91駅
保有車輌 1,311輌
年間輸送人員 622,928千人
旅客輸送キロ 8,705百万人/キロ
列車走行キロ 169,871千キロ
 
神戸線
本線   梅田ー三宮      32、3㎞
伊丹線  塚口ー伊丹       3,1㎞
今津線  宝塚ー今津       9、3㎞
甲陽線  夙川ー甲陽園      2、2㎞

宝塚線  
本線   梅田ー宝塚       24、5㎞ 
箕面線  石橋ー箕面        4、0㎞

京都線  
本線   梅田ー京都三条河原町  47、7㎞   
千里線  天神橋筋六丁目ー北千里 13、6㎞
嵐山線  桂ー嵐山         4、1㎞
保有車輌    輌
車輌区 西宮・平井・正雀・桂

特徴 
僕が以前、阪急沿線の箕面・宝塚に住んでいたこともありますが阪急に掛ける想いではひとしおのものがあります
現在の車輌は特急(京都線)車輌として誰もが乗って見たいと憧れる阪急究極の豪華な車輌として6300系があり、全車クロスシートで2ドアです。
マルーンカラーの中に前面方向幕から上、屋根がホワイトで素敵で特急に合っていると思ったら最近は車輌のリニューアル工事で同じように改造しています。
特急は例えば神戸線で大阪梅田ー西宮ー神戸三宮と停車駅がきわめて少なく早いのも魅力です。
1976年にブルーリボン賞を受けていますが次世代特急車両ともいえる9000系が登場しました。
次に8000・8300・6000・7000系など多様な車輌が運用されていますが阪急の特徴は京都・宝塚・神戸線の主要線はもとよりその他の路線にも利用する乗客に車輌の差別をつけないことです。
ほかに阪急の特色として
① 電車のカラーが創業以来マルーンカラーで落ち着きがありため色に近い皇室の色彩に似ていることです。
  電車はいつもぴかぴかに整備されていてきれいです。
② 電車の室内は木目調の金属プレートが貼ってあり落ち着いたグリーンのシートと調和しています。
ほとんどの私鉄が車内塗装をホワイト・グリーンとしている中でもう以前から窓周りから中央に掛けて木目調の金属板にホワイトの天井・落ち着いたグリーンのピッチの深いシートを見ると乗っている満足感があります。
全体的に阪急沿線に住むことに喜びを感じる雰囲気があります。
③ 阪急のターミナル梅田駅は千里山線・京都線・宝塚線・神戸線が発着する9線ホームはまさに壮観です。ターミナルは広くゆったりとしていて外国のターミナルホームのようです。
構内の音楽は落ち着いた音楽ですが発車案内があるとミュージックサイレンに変わるなど個性があります。
発車案内も関東と異なって例えば
「お待たせいたしました、4号線急行宝塚行きただいま発車いたします」
と特徴のある放送です。
僕は関西に行くと広い阪急の行き止まりの広いターミナル構内の壁にもたれて9線ホームを発着する電車を見ると背中がぞくぞくして鳥肌立つのです。
なんといっても9線ホームはほかになくあとは南海電車の難波駅、近鉄の上本町駅くらいでしょう。
④ 阪急百貨店に直結し、地下には阪急3番街があって梅田駅でショッピングを楽しむことが出来る。
周りにはオフィス・エンターテイメントの阪急ビルが建ち並びほとんど阪急梅田で
用を済ませることが出来る。
阪急もまた大阪梅田を起点に神戸・京都・宝塚を結び神戸・京都には阪急百貨店を有していて商業施設が集積されています。
このほか観光資源にも恵まれて京都嵐山・京都市内社寺仏閣・箕面県立自然公園・
神戸市内外人居留者館、観光地など集客性が強い利点があります。
面白いのはホーム構内に阪急ショップがあり阪急に関係したキーホルダー、写真、阪急のビデオがあります。
⑤ 阪急梅田ー十三間は私鉄三複線です。電車同士が競い合って走る様は絵になります。
阪急梅田と中津間のカーブ、淀川の橋梁3複線を渡る光景はしばしば雑誌でも見ますし撮影場所でもあるようです。
最後に阪急名物の平面交差があったことをご存じでしょうか。
阪急西宮駅構内に東西方向の神戸線(梅田ー神戸間)南北方向の今津線(今津ー
宝塚間)が平面交差していて大型の電車がレールの音をきしませて交差していく光景は鉄道ファン人気のスポットでした。
現在は今津線は分断されて今津線、西宮線に分かれています。

次回予告
東の東武・西の近鉄
このシリーズは勝ち負けトーナメントではありませんので特色が双方類似していると思う鉄道はどちらか一方重複掲載することがあります。

東の東武・西の近鉄
両者とも500㎞の最長路線
東武は東京・埼玉・群馬・栃木・茨城の一都三県
近鉄は大阪・京都・奈良・三重・愛知の二府三県
国際的観光地に恵まれている
東武は日光・鬼怒川温泉
近鉄は鳥羽・奈良大和の神社・仏閣
両者とも
東京圏主体の通勤輸送と近県はJR輸送の補完的役割
大阪圏主体の通勤輸送と近県はJR輸送の補完的役割
特急看板列車
東武は特急スペーシア
近鉄はビスタカー
などです。

東の東急、西の阪急は
両者とも不動産開発を行い同時に鉄道を敷設して乗客確保したこと
東急(田園調布住宅地)阪急 芦屋(芦屋住宅地)など
鉄道起点に百貨店を建設、収入確保を図った
東急(東横百貨店)、阪急(阪急百貨店)
創業者が同じような足跡をたどっている
大都市間交通機関である
東急(横浜ー東京)、阪急(神戸ー大阪ー京都)

次回以降
東急対阪急、京成対南海、京王対京阪,西武対阪神
などを予定。

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鉄道車両博物館「E231系」編集作業中

Dscf0108_1 すでに2年前から東海道線に東北本線・高崎線から大宮・池袋・新宿・大崎を経て横須賀線にそして東海道線の直通運転として湘南・新宿ラインが設定されてE231系の直通運転が行われていました。

それで横須賀線、東海道線から新宿。池袋方面に行く人にはすでにE231系はおなじみだったといえるでしょう。

E231系の池袋・新宿から東海道・横須賀すでに2年前から東海道線に東北本線・高崎線から大宮・池袋・新宿・大崎を経て横須賀線にそして東海道線の直通運転として湘南・新宿ラインが設定されてE231系の直通運転が行われていました。

それで横須賀線、東海道線から新宿。池袋方面に行く人にはすでにE231系はおなじみだったといえるでしょう。

E231系の池袋・新宿から東海道・横須賀線乗り入れはこれまで無競争だった東急東横線に従来の急行に加えて新しく特急が新設されて横浜ー渋谷間が完全に競合路線化しました。

さらにE231系が小田原まで延長されると小田急との競合路線で激しいスピードの競争が行われ、また藤沢でも小田急との競合路線がヒートアップしています。

E231系の特徴は正面が前面非貫通ドアでかっての103系・205系と同じです。

車体はステンレスで湘南カラーのオレンジ・グリーンの帯を中央に巻いています。

ドアは東海道線ではじめての4ドアになりました。

車内は駅案内装置がついて日本語・英語の標記文字が出ます。

はテープによる女性の声で日本語・英語が交互にアナウンスされます。

車両によっては半ドア開閉装置が設置されています。

これは東北・高崎本線直通用車両が冬季間は寒いので乗客が停車中自由にドアの開閉を行うことが出来るようになっていて車輌の運用の関係で東海道線にも半ドア開閉車が運行されてます。

東海道線専用に製作された車両はこの装置は付けられてないようです。

ところで東海道線での113系はもう30年以上も走っていましたが老朽化が著しく315日これまでの113系に変わりすべてE231系に置き換えられました。

ただ、いままでのように113系が走っていた頃と比べてロングシート車両が多いので弁当を買ってきて気軽に食べるわけにはいかないでしょう。

ロングシートは車内通路を挟んで人が向かい合って座るのでそこで皆に見られて弁当を食べるのは恥ずかしい気持ちがします。

その意味では全車両クロスシート3ドアの113系の方が弁当をほかの人を気にせずに食べられました。

ともあれE231系がJR東日本の主力車両になるでしょう。

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鉄道模型レイアウトの楽しみ

鉄道模型を作って部屋いっぱいにレイアウトを展開して電車とか列車を走らせるのは鉄道ファンにとってはとても楽しいものです。しかし家が大きいならそれも可能ですが、日本の住宅事情は悪くどうしてもその夢をかなえることができません。

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それでもどうしても鉄道模型を走らせて見たいと思う人のためにPC上で自分の好みのレイアウトを作成して、場合によっては実際の駅とか路線とかを再現することができるのです。いろいろな数多くの車輌(20輌編成まで可能)線路、鉄道施設、駅設備、ホーム(対向式・島式)車庫、構内の全ての施設、橋梁、トンネル、建物、超高層ビル、樹、畑、水田、川、湖、海、道路、案内標識、高架線線路、地形編集など微細に渡っていて、自分で頭に描きながらレイアウトできます。

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頭上・仰角・右・左、頭上などスイッチ一つで切り替えられます。このCGは113系が2編成駅に止まっていてキハ110系が左側に見えますが、実はこのレイアウト、架空 の感じで中央部分は山岳・渓谷を走るローカル線で、その外側を都会風の建物を眺めながら走るという二段構えになっています。また、カメラがあって選択して好きなところにおいて列車が来ると切り替えるを選択すると、カメラが列車をある地点まで追いかけます。さらに天候の選択も自由で春の情景・曇りの日、夏の日、雨の日、秋の夕暮れ、冬の雪の日と選択豊富で、鉄道模型の及ばない分野まで楽しむことができるのです。なにかI,MAGIC COSMOS社の宣伝になってしまった面がありますが、実に変化にとんだレイアウトを作成して楽しむことができるのです。

CG1はキハ58から全面を展望した光景です、DL(左)2連がイベント列車を牽引して入線してくる光景です。CG2は渓谷を登って行くキハ58DLを模型鉄道の視点から眺めた光景でこのままの位置で走行していきます。CG3は113系と左側にはキハ110系が見える構内風景です。CG4は右の車窓から見た渓谷の光景でこれから列車は次第に上って行きます。渓谷を感じさせる川は上流・中流・下流と選択できて岩の多さで知ることができます。

しかもこのレイアウト標準サイズから最大20メートル換算の広さまで可能ですから速度の速い新幹線も可能です。

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ところでこのVR3シリーズは、現在7本出ていてそれぞれ鉄道車輌とテクスチャーが組み込まれて価格は4千円から6千円くらいで全部買うと4万円くらいになります。でもうれしいことに初心者向きに「はじめよう鉄道模型シュミレーションが2千円くらいで1車輌が組み込まれているのでどういうものかを知ることができます。収納車輌はJRが主体で私鉄も含めると80種くらいあるようです。

私が今レイアウトを作成してみたいものとしては、横川ー軽井沢の碓井峠越えです。そのほか横浜駅付近、大阪駅付近、箱根登山鉄道沿線、阪急梅田駅・宇野ー高松の瀬戸大橋など手がけたいですね。

I.MAGIC COSMOS社   http://www.imagic.co.jp/

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鉄道小説「山手線」未完

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東京の大動脈、一周45分の環状線「山手線」始発電車から終電車まで朝・昼・夜いろいろな人が利用している。そこに色々な人間模様が見えてくる。「山手線」は、運転士の歓呼・車掌・女性テープの案内・駅の案内などを忠実で究極の真面目な鉄道を再現させたい。一方それとは対照的に朝・昼・夜と時間でどんどん変化していく自由な乗客の回顧・独り言・複数以上の会話、それは断片的なものであるかも知れないがともかく「山手線」は今日も色々な人々を乗せて走る。
ここに出てくる山手線は実在しますが物語はドキュメントであり登場人物は実在しません。


冬の明け方、吐く息が白いそんな寒さを運転士の田崎祐司は大崎電車区のまだ眠りについている電車に今日の乗務をするためE231-090の点検に掛かった。
「皆E231に変わったなあ、僕がかわいがっていた205ー340は元気に働いているだろうか」
田崎が15年も運転していた205系も取り替え時期が来てかなりの車輌が仙石線に配属換えされたのだった。E231系は205系の次世代電車と云われているが山手線に配属されてまだ3年目だった。
低い声でつぶやきながら電車の足回り下を覗いた。1輌ずつ見回りながら11輌最終車輌にきたとき車掌の森下光男にあった。

「おっご苦労さま」
「田崎先輩よろしくお願いします」
「こちらこそ、今朝はやけに寒いが頑張っていこう」
田崎は最近白髪が目立つ髪の毛を気にしながら帽子を脱いでかぶり直し、あご紐をきりりとしめた。森下が乗務員室のドアの取っ手に手を掛けて鍵を回して戸を開けて田崎もそれに続いた。

森下がパンタグラフのスイッチを押してあげるとモーター音周りだし室内灯が点灯し張り詰めたような冷たい空気が流れる車内を歩いて11両目を歩き先頭車車輌E231ー030に戻り、乗務員室のドアを鍵で開けて運転士室に入った。
これから眠っている車輌に息を吹き込んで電車を走らせると思うと一瞬緊張するのだった。マスコンのスイッチを入れブレーキ、加速・減速がスムースに動くかをテストした。圧力計に次いでパンタグラフの昇降テストのあと、さらにATC作動テストと相次いで行った。

一方、車掌の森下は最後部車E231ー053の乗務員室の鍵を開けて車内に入り、ドア開閉のテストを行った。次いで案内放送のテープのスイッチを入れた。女性の声で「次は池袋です。埼京線・湘南新宿ライン・西武線、東武線、東京メトロ丸の内腺・有楽町線はお乗り換え・・・・・」
森下はスイッチを切った。
「大崎なのになぜ池袋」
そう思いながら駅名案内を品川になるように調節した。
すでに大崎駅では始発電車に備えて通り抜けの通路のシャッターを開けて、切符の自動販売機も作動するようにスイッチを入れられていた。

駅のホームでは、
「おはようございます、本日もJRをご利用くださいましてありがとうございます。間もなく始発電内周り、品川・新橋・東京・秋葉原・上野方面行きが2番線に入って参ります。危ないですから黄色い線までお下がりください」
時計は4時20分を過ぎていた。さすがにまだ電車を利用する乗客は少なく肩にかごを掛けた築地市場のせりに出かけるジャンパー姿の仲買人、職人が目立った。

その中にすし善の矢田純蔵もいた。始発電車はライトをつけてしずしずと大崎車輌区側から2番線に入線してきた。
「大崎、大崎です。2番線の電車は始発電車、4時29分発品川・新橋・東京・秋葉原・上野方面行きです」、
乗客が電車に乗り込んだ。冬の車内は暖房が入れられたとはいえ寒々としていた。矢田も座席に腰掛けたものの座席の下のパネルヒーターに足を寄せて暖を取ろうとしていた。

「おはようございます。本日もJR山手線をご利用くださいましてありがとうございます。この電車は外周り品川・新橋・東京・秋葉原・上野方面です。なお運転士は大崎車輌区の田崎祐司・車掌は森下光男です」
とテープを使わないで乗客に放送した。ミュージックサイレンが鳴り、駅のホームの女性の案内放送が
「2番線のドアが閉まります」
と優しい声で案内した。
田崎は前方をじっと見つめていた。まだ、闇に包まれて3灯式信号機の表示が赤から注意、そして緑に変わった。
「大崎定発」
「信号よーし」
「出発進行」
「場内制限15」

電車は構内を過ぎると
「制限解除、速度60」
田崎は次々と喚呼してコントロールレバーをゆっくり手前に引いた。電車は早くなりVVVS方式の独特の音をさせながら走行した。そうそう、これも放送しなければ、車掌の森下はマイクを握ったまま
「お客様にお願いします。車内でのケータイ電話のご使用は優先席近くでは電源を切ってご使用はご遠慮ください。なおそのほかの車内でのご使用はマナーモードでご使用くださいますよう、みなさまのご協力お願いいたします」
森下はそう言い終えるとマイクのスイッチを切った

座席に腰掛けて居るすし職人は昨日のことを想いだして居た。というのは息子の大輝が勤めて居た会社を辞めて家業の寿司屋を継ぐというのだった。矢田は息子が自分の店のあとを継ぐと云ったことを喜んで居たのだった。中学を出て直ぐに寿司やに奉公して辛い寿司職人の修行をして35歳の時やっと独立してお客にも恵まれて寿司屋のほかに海鮮料理レストランを別に持って居た。

最初は息子の云うことを信じて居た。息子にしっかりした寿司職人になってほしっかったし、あとを継ぐと云うからには自分がさんざん苦労して覚えた技を息子大輝には苦労しないで覚えてほしいと大変な力の入れようだった。寿司のネタは築地市場に朝早く起きて出かけて誰よりも新鮮な材料を仕込んでくるのが一番大切だと考えていた。それで息子の真一を最初の朝に起こして築地の市場に連れて行った。

「真一、今から一緒に寿司ネタ仕入れに築地にいくからおまえも起きてついて来い」
と寝ている真一に声を掛けた。真一は、
「お父さん、今何時」
と云いながら隅の時計を見た。
「わっ、俺堪忍してよ、せっかく爆睡してんのに」
「何をいってんだ、真一今日から寿司やになるんだろう、さあ起きて起きて」
「わかったよ、起きるよ」
真一は不承不承起きて顔を洗い、歯を磨きブルゾンを羽織って父について行った。しかし、それ一回だった。母の桃子は、
「真一が会社を辞めてまで跡を継ぐと行っただけでも、なかなかお父さんの職を継ぐなんて云う子はいないよ、あまり厳しくすると真一が逃げるわよ」
と同情して云うのだった。
「まあ、しょうがないか」
矢田はそれ以上何も言わず寿司ネタの仕入れはしばらく一人ですることにした。

「次は品川です、東海道線・総武横須賀線・京浜東北線に京浜急行線それぞれ次の品川でお乗り換えです・・・Soon will be maked berief stoped Shinagawa toukaidou Line・・・・」田崎は
「制限60」
「制限50」
「品川停車」
そういってマスコンレバーを手前に少しずつ戻した。
電車は緩やかにスピードを落とし品川駅1番線ホームに滑り込んだ。

品川駅では今日一番の始発電車に乗り込もうとしていた人たちが待機していた。
島本秀夫もその一人だった。島本は昨日、遠藤部長が札幌支店長に転勤するために開発二課全員が出席して送別会をホテルで行ったあと、同僚4人と酒場で飲んで、つい山手線の最終電車に乗り遅れたのだった。やむを得ず駅前のビジネスホテルに宿泊し、そのまま会社に行こうと思ったのだが、いったん巣鴨の自分の家に帰って朝食たべてきちんと身支度をそろえて丸の内の会社に出勤しようと考えを変えた。妻にもケータイで
「今夜は遠藤部長の栄転の送別会があって、多分遅くなるから先に寝ていて、じゃあ」
とホテルの会場で話して以来交信しなかった。身を突き刺すような張り詰めた空気で遠藤は酔いが醒めて
「家ではさぞ心配してるだろうな」
と云った。時計を見ると4時25分だった。遠藤は鞄の中からケーターを取りだして電源を入れて局番を入れたが
「まだ、4時30分過ぎだし反って寝てる妻を早朝から起こしては逆効果だ」
そう考えながらケータイを元の鞄にしまった。電車は始発電車なのでほかのJRや私鉄の京浜急行の連絡待ちのせいか品川駅に止まっていた。そのとき地下の階段から人の塊が車内になだれ込んできた。田崎はじっと前方を見つめていた。前方彼方に一筋の光が見えたと思ったらヘッドライトを二基つけたE231の内回り電車だった。

「お待たせしました。1番線のドアが閉まります、次は田町です」
女性の駅アナウンスに促されるように
「品川4分延発」
「制限30」
「出発進行」
マスコンのレバーを手前に引くと再び電車が動き始めた。制限速度30キロを維持しながら構内を離れると
「制限解除」
「速度90」
田崎は思いきってマスコンの位置を5まで引いた。時速90キロ、山手線内で唯一の高速運転が出来る区間だった。

右側には広い品川車輌区があって、113系に変わって東海道線のE231系をはじめ 211系、ダブルデッカー車のE215系をはじめ遠くには九州・山陰の寝台特急がまだ構内の照明灯に照らされて眠りについていた。
品川から田町までのこの区間は山手線でも約2キロ以上の最長距離区間であるが京浜東北・山手・東海道腺に新幹線と列車が頻繁に走ってくるめまぐるしい区間ではあるがまだ午前5時前ではほとんどその列車の姿も見えなかった。
「あのラッシュアワーのすさまじさが嘘のように静かだ」
田崎はそう思った。

「間もなく田町です。都営三田線・浅草線・都営大江戸線、はお乗り換えです。この電車は次は浜松町に止まります」
5両目に乗っていた経営コンサルタントの石塚健一郎は、眠い目をこすりながら「次は浜松町だなあ、北海道の札幌日帰り出張はきついよな」
書類を鞄から出してページをめくりながら、
「何とかしてこの案で了解してもらわないと」
低い声でつぶやいた。彼は同僚の増本と空港で逢って、羽田発6時全日空102便札幌経由で千歳空港に向かうことになっていた。

「田町停車」
田崎はマスコンレバーを停車にブレーキを掛けながら徐々に減速させて停車位置に寸分の狂いもなく停車させた。
「田町です。ご乗車ありがとうございます」
「2番線の電車のドアが閉まります」
電車のドアが閉まると田崎は
「田町3分延発」
「制限60」
と歓呼してマスコンを手前に引いて電車は次第にスピードを増した。
「間もなく浜松町です。東京モノレール、羽田空港方面は次の浜松町でお乗り換えです」
「浜松町です。ご乗車ありがとうございます」
そのアナウンスを聞いてコンサルタントの石塚は鞄を右手に持ってドアが開くのを待ってホームの外に出て行った。田崎は運転表の時刻と実際の時間を時計を見ながら
「やれやれまだ2分延発か、遅れを戻すのは大変なんだよな」
低い声で言った。

「浜松町2分延発」
「出発進行」
「制限60」
「信号よ~し」
指査喚呼を行いながら電車は新橋に向かって走行した。
「間もなく新橋です。東京メトロ銀座線、都営地下鉄線、ゆりかもめ線においでの方はお乗り換えです。新橋の次は有楽町です・・・・・」 
新橋汐留口の高層ビルもまだ眠りについていた。

「おっと、新橋か」
座席で居眠りしていた寿司職人の矢田は眠そうな目をこすりながら、その放送に促されて「今日はいい寿司ねたが手に入るぞう」と心の中で思いながら立ち上がってドアの開くのを待ってホームに降りた。
「新橋です。ご乗車ありがとうございます」

さすがに新橋で降りる人は多かった。今まで車内のあちらこちらにぽつんと腰掛けて居た人が新たに乗ってきた人で座席がつながって人がこしかけるようになった
左の窓から見る霞ヶ関までのビルも暗く、ただ街路灯と自動車のテールライトだけが延々と続いていた。
「1番線のドアが閉まります。次は有楽町に止まります」
ドアがプッシュと言って閉まった。
ピンポン・ピンポン・ピンポンと3点のチャイムが鳴ると
田崎は
「新橋2分延発」
「出発進行」
「制限60」
マスコンを手前に引くとたちまち60キロになったが前方に有楽町駅がもう見えてき
た。

わずか1,1キロの区間なのでマスコンを元の位置に戻し直ぐにブレーキを掛けて減速していくらかカーブした有楽町駅に入らねばならずベテラン運転手でも難しいといえる区間なのだ。
山手線は全32駅ありどこの区間も駅間距離が短く、一駅平均1,08キロと中央線31駅平均1,8キロ、総武線21駅、2,8キロに比べても短かった。
「有楽町ご乗車ありがとうございました」
田崎はマスコンをニュートラルの位置に戻し外を眺めた。

かってのデートの場所であり、有楽町で会いましょうといった有楽町広場は大きな変貌を遂げたなと思った。
そごう百貨店が撤退し、そのあとに大型家電店が進出していた。
ここから丸の内に掛けてはオフィスビルが同じ高さで立っていたが再開発と土地の有効活用で最近は一部高層ビルに模様換えしようとしていた。
ドアが閉まり、田崎がマスコンを手前に引くと電車は加速しすぐに東京駅に到着するのだった。

東京駅ではそこでは、昨日東海道新幹線の関ヶ原付近で吹雪となり、相次いで列車が立ち往生し最終新大阪発ひかり号が夜中の12時30分頃到着し、列車ホテルに泊まった乗客が今日最初の始発電車に乗り込もうとする人が多かった。
時計は4時44分を指していてまだ闇のとばりに包まれていたが209系の京浜東北線が右側のホームに滑り込んできた。
「間もなく4番線に山手外回り、秋葉原・上野・田端・池袋方面 行きが到着します。危険ですから黄色い線までお下がりください」

中央線・京浜東北線・山手線・東海道線・東海道・東北・新潟・長野新幹線に地下には総武・横須賀線・300メートル離れて京葉線、さらに東京メトロ丸ノ内線と日本一過密な東京駅は1日105万人以上の利用客を擁していたがまだ冬の朝は遅く夜があけるためか静寂さを守っていた。
しかし、そろそろ九州からの寝台特急が到着する頃で今日も東京駅はまた活気を取り戻そうとしていた。

田崎の運転する電車が到着し、ドアが開くと
「昨日は東海道新幹線が雪のために大幅に遅れてご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます」
と特別に放送していた。
京都の岸谷涼子もその一人だった。
涼子は高校時代の友人が結婚するので久しぶりに実家に帰り、友達の結婚式に出たのだが、その帰徒、例の大雪で新幹線に閉じこめられ朝帰りになってしまったのだった。
涼子の東京の家は池袋からさらに30分の大泉学園にあった。
「主人と子供はどうしているかしら、あの人は無きっちょうだからご飯たべたかしら」
と心配だった。

考えたあげくバッグから赤いケータイを取り出してなにはともあれと電源を押したが充電が切れていた。
「あたしってどうしてこうどじなんだ、もう」
低い声でつぶやいた。
電車は神田を過ぎ・秋葉原に止まった。
「秋葉原です、京浜東北線、総武線・つくば鉄道線・地下鉄日比谷線ご利用の方は当駅でお乗り換えです。」
田崎は運転席から秋葉原の街を眺めた。
「ここも変わったなあ、」

戦後ラジオの部品屋として発足した通称ジャンク街がTV・AVの発展と共に世界でも珍しい総合電気街に発展したのだった。
「3番線のドアが閉まります、次は御徒町に止まります」
ドアが閉まると田崎は
「御徒町延発2分」
「出発進行」
ここまできても品川駅延発はまだ取り返せなかった。

田崎は
「2分の延発、仕方がないよなあ」
と思った。
御徒町を過ぎて上野に到着した。
「上野です。東北線・常磐線・東北・上越・長野新幹線は当駅でお乗り換えです。
3番線の電車は当駅で時間調整のためにしばらく停車いたします」
上野駅から乗ってくる客は少なかった。
かって上野駅は田舎から上京してくる人の出世駅と云われていた。
急行「津軽」「十和田」など、東京への集団就職といわれた夜行列車は新幹線開業と共に消えてしまい、夜行列車はわずか北陸からの特急「北陸」だけという寂しさになってしまった。田崎はそんなことを考えていた.
上野駅の発車のサインはミュージックサイレンでなく、昔風のベルだった。かって国鉄時代は発車ベルだったが、山手線内はベルはなく、今では東京駅の東海道線の普通電車7,8番ホームと快速、遠距離電車特急寝台特急が発着する9番、10番線のベルを除いてほかの駅はソフトな特徴を持ったミュージックサイレンだった。

「お待たせしました。2番線のドアが閉まります」
ホームの頭上から女性の案内テープが流れてドアが閉まった。
田崎はマスコンレバーを強く引いた。
「速度60」
京浜東北線・山手線・高崎・東北線・常磐線と幾重にもレールが走っていて暗闇の中からヘッドライトを点けた電車が不意に近づいてきて賑やかになった。
電車は鶯谷・日暮里・西日暮里を過ぎて田端に着いた。
「2番線のドアが閉まります」
「田端2分延発」
田崎は喚呼しながら2分の遅れがまだ回復していないことにストレスを感じていた。

「池袋までなんとかしないとなあ」
低い声でつぶやきながら
「信号よおし」
「速度60」
田端から左にカーブすると下り坂になっていてすぐに駒込駅が見えてきた。
「駒込停車」
田崎は、停止位置にブレーキレバーを引いて電車を止めた。
数人の乗り降りがあり、辺りはようやく闇の帳から空が白みかけてきた。
電車は鶯谷・日暮里・西日暮里を過ぎて田端に着いた。「2番線のドアが閉まります」「田端2分延発」田崎は歓呼しながら2分の遅れがまだ回復していないことにストレスを感じていた。「池袋までなんとかしないとなあ」低い声でつぶやきながら「信号よおし」「速度60」田端から左にカーブすると下り坂になっていてすぐに駒込駅が見えてきた。 「駒込停車」
田崎は、停止位置にブレーキレバーを引いて電車を止めた。数人の乗り降りがあり、辺りはようやく闇の帳から空が白みかけてきた。対向の内回り電車も少しずつすれ違いが増えて来た。数人の乗り降りがあり、辺りはようやく闇の帳から空が白みかけてきた。

東京から乗った岸谷涼子は昨日の新幹線の大幅遅延で列車ホテルに変貌した車内でよく寝れなかったのか、可愛い寝息を立てて熟睡していたが、「次は、池袋です。埼京線、湘南新宿ライン、西武線・・・・・という車内の案内で目を覚まして、「いけない、乗り過ごすと主人に・・」と低くつぶやき、座席を立って眠そうな目をこすってあくびをしてドアに立つ。

「池袋、池袋ご乗車ありがとうございます、埼京線・湘南新宿ライン・西武線・東武東上線・地下鉄丸の内線・半蔵門線はお乗換えです。ご乗車ありがとうございました。岸谷涼子は、コートの襟を立てての左手の黒い手袋で赤いバッグを抱えるようにして「早く家に帰らないと」とつぶやくようにして西武線のホームに向かって階段を早足で下りて行った。

池袋駅は1日乗降客約160万人という新宿駅と肩を並べるマンモス駅なのだが、今は各ホームに明かりが点いて電車がホームに止まっていた。
2時間後には喧騒と悲鳴の起きることは想像もできない。
                                (未完)


著作権はすべて管理人(ヒロクン)に帰存します。この小説の文章の転用・引用は禁止します

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鉄道車両博物館「C62系」

Sl003_1 懐かしい蒸気機関車C62型のCGです。実は鉄道模型シュミレーションソフトで地形作成によって川・渓谷・山脈を再現してナハ10形式の客車を牽引してこれから峠を越えていく情景を再現させました。思ったより現実に近い形で出来て気にいった作品です。

懐かしい蒸気機関車C62型戦後旅客輸送の急増に対応できずそこでもともと貨物列車用のD51をC51,D52をC62とともに旅客用大型蒸気機関車に改造・転用しました。

従来の蒸気機関車にない自動石炭供給装置が取り付けられたのも大きな特色です。

1948年(昭23)から翌年に掛けてD52を49両を改造しました。

全長21,5mという大きさから使用線区も限られてまず東海道・山陽線に使用され特急つばめに使用されました。ついで1948年(昭24)に東北・常磐線に使用、特急はつかりを牽引しました。

その間、新幹線の建設が行われて東海道・山陽・東北新幹線が開業すると、また石炭資源の枯渇により次第にその地位を追われて最後には北海道の函館本線で急行列車「ニセコ」を牽引しました。雪の原野、山越えをツバメのマークをつけたC62型蒸気機関車の重連が颯爽と走る光景は忘れられないものがあります。

国鉄の旅客用テンダー式蒸気機関車でシロク二という愛称で親しまれています。戦時中逼迫する物資の中で誕生したD51・D52型大型蒸気機関車です。戦後、旅客輸送需要に対応さうるため急遽旅客型蒸気機関車に改造されました。

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東西私鉄対抗シリーズ「京急VS阪急」

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86460707a16b771d9513d06a0866491b_2 「86460707a16b771d9513d06a0866491b.jpg」をダウンロード 僕が好きな私鉄を選択するとしたら東の京浜急行電鉄,西の阪急電鉄でしょう。画像は鉄道模型シュミレーターVR3を使用して横浜駅風にレイアウトして京急2100系上り、下りと阪急8000系を登場させました。実際はこのような光景は見られませんが、まだ1枚しか写真を投稿することが出来ず、横浜駅に京急と阪急が登場するということになってしまいました。
資料一部 日本民営鉄道協会による。

東の京急

名称 京浜急行電鉄
設立 1898年2月25日

東の京急

名称 京浜急行電鉄
設立 1898年2月25日
資本金 347億円   2005・9・30現在
従業員数4,074人 
連結売上高316,666百万円 17,3現在
営業キロ 87,0㎞
駅数  72駅
保有車両数 758輌
年間輸送人員 424382千人
旅客輸送キロ 6,220百万人/キロ
列車走行キロ 108, 856千キロ

本線   泉岳寺ー浦賀   56、7㎞
久里浜線 堀之内ー三崎口  13、4㎞
空港線  京急蒲田ー羽田空港 6, 5㎞
逗子線  金沢八景ー新逗子  5, 9㎞
大師線  京急川崎ー小島新田 4、5㎞
保有車輌    758輌
車輌区 金沢文庫・神奈川新町・久里浜検車区

特徴
特急を走らせていてリクライニングシートを採用して優等車なのに特急料金を取らないことです。2100系が代表的車輌です。
京急の車輌としては800・1000・1500・新1000系などが挙げられますが、新1000系は2100系と同じ外観デザインであり装備も2100系並でありながら乗客へのサービス向上を図り普通から快速特急まで多様な運用がなされています。
1000系は製造年度も古く最近では一部が北総鉄道・公団線に貸与され、また一部は高松琴平電鉄に譲渡されるなど第一線を退きつつあるようです。
また、創業以来終始一貫として車輌の赤い色を踏襲してきたのも西の阪急と同じです。。
京急は海のイメージがとても強くちょっと挙げただけでも逗子・浦賀・野比・三崎・城ヶ島・油壺などの各海岸があり夏の海水浴客の輸送需要が高く関東では他の私鉄にない大きな特色です。
浦賀は日本にはじめてペリーが黒船で来港した由緒の地としても知られています。
また、京急は品川ー川崎ー上大岡ー横須賀という商業核を持っていることも大きな強みといえるでしょう。
品川は京急パシフィックホテル、京急ウイングなどの商業・飲食・宿泊・スポーツ施設を有して居ります。
川崎は商業中心地です。
横浜は東にそごう、丸井、ルミネなど、西に高島屋、相鉄ジョイナス、さらに東西に地下街など一大商業施設を有しています。
近年上大岡は再開発が進み本格的な京急百貨店が開設しさらに京急ウイングなど複オフィス・商業・飲食機能を有した駅前再開発が進捗し、横浜市の新横浜に次いで副都心機能を有しています。
横須賀は市内繁華街の中心地に駅が位置していて、この点JR横須賀駅が横須賀の外れにある点からも京急に太刀打ち出来ない状況です。
京急の2100系は1998年3月28日に運転を開始しました。2100系の名前のいわれは21世紀にふさわしい車輌という名前で命名されたようです。(wikipedia百科事典より)
僕的には外観デザインが素晴らしく前面運転台のアイボリー板に大きく2100と打ち抜き文字が施されて印象的です。
正面非貫通のように見えますが地下鉄線区間も走行するので貫通ドアが左にあります。
車内も2ドアなのでリクライニングシートも整然と並び優等車に乗ることに誇りと喜びを感じさせてくれます。
西の私鉄はJRとの競合路線が多いせいかまた大阪を中心に京都・神戸・奈良・和歌山といった都市もJRが走っていて速度が速いのですが関東の電車は京浜急行くらいで品川ー川崎ー横浜ー上大岡ー横須賀ー久里浜ー三崎口間の特急は1時間と少しで結んでいます。
京急の大きな特徴は羽田線羽田国際空港・京成成田線で成田国際空港と二大空港に直結していることです。
将来、東急目黒線・池上線蒲田駅への延長工事を施して東急・京急との直通運転も計画されていると一時聞きましたが この計画は現在の構造及び線増が難しく実現はできないということも聞いています。
またJRの横須賀線は京急線に横須賀に行くのに太刀打ち出来ない状況です。
なんとなればちなみに昼間はかなりの本数が東京ー逗子間で折り返し運転を行っていて逗子ー久里浜間は短い車輌の編成で京急に完全に食われているといっても過言ではありません。

西の阪急電鉄

名称 阪急電鉄
設立月日 1898年2月25日
資本金
従業員数 4, 182人
営業総延長距離 146、6㎞
連結売り上げ高 476,623百万円 17,3月現在
営業キロ 146,5キロ
駅数 91駅
保有車輌 1,311輌
年間輸送人員 622,928千人
旅客輸送キロ 8,705百万人/キロ
列車走行キロ 169,871千キロ
 
神戸線
本線   梅田ー三宮      32、3㎞
伊丹線  塚口ー伊丹       3,1㎞
今津線  宝塚ー今津       9、3㎞
甲陽線  夙川ー甲陽園      2、2㎞

宝塚線  
本線   梅田ー宝塚       24、5㎞ 
箕面線  石橋ー箕面        4、0㎞

京都線  
本線   梅田ー京都三条河原町  47、7㎞   
千里線  天神橋筋六丁目ー北千里 13、6㎞
嵐山線  桂ー嵐山         4、1㎞
保有車輌    輌
車輌区 西宮・平井・正雀・桂

特徴 
僕が以前、阪急沿線の箕面・宝塚に住んでいたこともありますが阪急に掛ける想いではひとしおのものがあります
現在の車輌は特急(京都線)車輌として誰もが乗って見たいと憧れる阪急究極の豪華な車輌として6300系があり、全車クロスシートで2ドアです。
マルーンカラーの中に前面方向幕から上、屋根がホワイトで素敵で特急に合っていると思ったら最近は車輌のリニューアル工事で同じように改造しています。
特急は例えば神戸線で大阪梅田ー西宮ー神戸三宮と停車駅がきわめて少なく早いのも魅力です。
1976年にブルーリボン賞を受けていますが今年には次世代特急車両が登場の予定です。
次に8000・8300・6000・7000系など多様な車輌が運用されていますが阪急の特徴は京都・宝塚・神戸線の主要線はもとよりその他の路線にも利用する乗客に車輌の差別をつけないことです。
ほかに阪急の特色として
① 電車のカラーが創業以来マルーンカラーで落ち着きがありため色に近い皇室の色彩に似ていることです。
  電車はいつもぴかぴかに整備されていてきれいです。
② 電車の室内は木目調の金属プレートが貼ってあり落ち着いたグリーンのシートと調和しています。
ほとんどの私鉄が車内塗装をホワイト・グリーンとしている中でもう以前から窓周りから中央に掛けて木目調の金属板にホワイトの天井・落ち着いたグリーンのピッチの深いシートを見ると乗っている満足感があります。
全体的に阪急沿線に住むことに喜びを感じる雰囲気があります。
③ 阪急のターミナル梅田駅は千里山線・京都線・宝塚線・神戸線が発着する9線ホームはまさに壮観です。ターミナルは広くゆったりとしていて外国のターミナルホームのようです。
構内の音楽は落ち着いた音楽ですが発車案内があるとミュージックサイレンに変わるなど個性があります。
発車案内も関東と異なって例えば
「お待たせいたしました、4号線急行宝塚行きただいま発車いたします」
と特徴のある放送です。
僕は関西に行くと広い阪急の行き止まりの広いターミナル構内の壁にもたれて9線ホームを発着する電車を見ると背中がぞくぞくして鳥肌立つのです。
なんといっても9線ホームはほかになくあとは南海電車の難波駅、近鉄の上本町駅くらいでしょう。
④ 阪急百貨店に直結し、地下には阪急3番街があって梅田駅でショッピングを楽しむことが出来る。
周りにはオフィス・エンターテイメントの阪急ビルが建ち並びほとんど阪急梅田で
用を済ませることが出来る。
阪急もまた大阪梅田を起点に神戸・京都・宝塚を結び神戸・京都には阪急百貨店を有していて商業施設が集積されています。
このほか観光資源にも恵まれて京都嵐山・京都市内社寺仏閣・箕面県立自然公園・
神戸市内外人居留者館、観光地など集客性が強い利点があります。
面白いのはホーム構内に阪急ショップがあり阪急に関係したキーホルダー、写真、阪急のビデオがあります。
⑤ 阪急梅田ー十三間は私鉄三複線です。電車同士が競い合って走る様は絵になります。
阪急梅田と中津間のカーブ、淀川の橋梁3複線を渡る光景はしばしば雑誌でも見ますし撮影場所でもあるようです。
最後に阪急名物の平面交差があったことをご存じでしょうか。
阪急西宮駅構内に東西方向の神戸線(梅田ー神戸間)南北方向の今津線(今津ー
宝塚間)が平面交差していて大型の電車がレールの音をきしませて交差していく光景は鉄道ファン人気のスポットでした。
現在は今津線は分断されて今津線、西宮線に分かれています。

次回予告
東の東武・西の近鉄
このシリーズは勝ち負けトーナメントではありませんので特色が双方類似していると思う鉄道はどちらか一方重複掲載することがあります。

東の東武・西の近鉄
両者とも500㎞の最長路線
東武は東京・埼玉・群馬・栃木・茨城の一都三県
近鉄は大阪・京都・奈良・三重・愛知の二府三県
国際的観光地に恵まれている
東武は日光・鬼怒川温泉
近鉄は鳥羽・奈良大和の神社・仏閣
両者とも
東京圏主体の通勤輸送と近県はJR輸送の補完的役割
大阪圏主体の通勤輸送と近県はJR輸送の補完的役割
特急看板列車
東武は特急スペーシア
近鉄はビスタカー
などです。

東の東急、西の阪急は
両者とも不動産開発を行い同時に鉄道を敷設して乗客確保したこと
東急(田園調布住宅地)阪急 芦屋(芦屋住宅地)など
鉄道起点に百貨店を建設、収入確保を図った
東急(東横百貨店)、阪急(阪急百貨店)
創業者が同じような足跡をたどっている
大都市間交通機関である
東急(横浜ー東京)、阪急(神戸ー大阪ー京都)

次回以降
東急対阪急、京成対南海、京王対京阪,西武対阪神
などを予定。

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鉄道車両博物館「E209系」

C75dc312ee289365d10592206f3e2413 JR東日本の209系電車は、従来の車両に比較して経済の低成長時代にふさわしく省エネルギー・省コストを目指して開発された通勤型電車です。

現在のJR東日本の通勤型電車にその設計思想は引き継がれています。

鉄道ファンからは、とにかく「走るんです」とニックネームをつけられました。

この電車はこれからは10年くらいで交換したほうがよいということでそろそろ次世代電車の登場が噂されているようです。

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100曲モーツァルト =10枚10時間3000円= Music 100曲モーツァルト =10枚10時間3000円=

アーティスト:オムニバス(クラシック)
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  113系に比較して加速・減速がよく通勤輸送に大きな貢献を果たしています。

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鉄道車両博物館「285系」サンライズ寝台特急電車

平成10年13年ぶりに従来の583系に代わってJR西日本とJR東海が共同開発をして満を持して新しく登場させた新型寝台電車251系電車である。東京ー高松のサンライズ瀬戸と東京ー出雲市間のサンライズ瀬戸がある。

動力分散方式でVVVFインバーター制御車である。全車2階建てであり寝台の居室空間が広くなっていて快適な寝台である。7輌編成8本が1998年川崎重工・近畿車輛・日本車輌で製作された。1999年に鉄道ブルーリボン賞を獲得している。

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伊豆特急251系スーパービュー踊り子

2006年12月18日 (月)

Dscf0004_1 1990年に国鉄時代特急電車踊り子に代わって乗客のサービス改善と伊豆のリゾート性をあらわしたJR東日本発足とともに登場したスーパービュー踊り子号である。

ゆったりした

ゆったりした居室性の優れたグリーン車、サロン・ビデオが楽しめるプレールームなど、多くの優れた特色を有している。(横浜駅に停車中の285系スーパービュー踊り子号)

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鉄道車両博物館北海道特急キハ281系

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投稿者 ヒロクン 時刻 2122分鉄道小説 | 固定リンク | コメント (4) | トラックバック (2)

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池袋駅は1日乗降客約160万人という新宿駅と肩を並べるマンモス駅なのだが、今は各ホームに明かりが点いて電車がホームに止まっていた。
2時間後には喧騒と悲鳴の起きることは想像もできなかった。 

「池袋、池袋ご乗車ありがとうございます、埼京線・湘南新宿ライン・西武線・東武東上線・地下鉄丸の内線・半蔵門線はお乗換えです。ご乗車ありがとうございました。岸谷涼子は、コートの襟を立てての左手の黒い手袋で赤いバッグを抱えるようにして「早く家に帰らないと」とつぶやくようにして西武線のホームに向かって階段を早足で下りて行った。 

東京から乗った岸谷涼子は昨日の新幹線の大幅遅延で列車ホテルに変貌した車内でよく寝れなかったのか、可愛い寝息を立てて熟睡していたが、「次は、池袋です。埼京線、湘南新宿ライン、西武線・・・・・という車内の案内で目を覚まして、「いけない、乗り過ごすと主人に・・」と低くつぶやき、座席を立って眠そうな目をこすってあくびをしてドアに立つ。 

 電車は鶯谷・日暮里・西日暮里を過ぎて田端に着いた。「2番線のドアが閉まります」「田端2分延発」田崎は喚呼しながら2分の遅れがまだ回復していないことにストレスを感じていた。「池袋までなんとかしないとなあ」低い声でつぶやきながら「信号よおし」「速度60」田端から左にカーブすると下り坂になっていてすぐに駒込駅が見えてきた。 「駒込停車」
田崎は、停止位置にブレーキレバーを引いて電車を止めた。数人の乗り降りがあり、辺りはようやく闇の帳から空が白みかけてきた。対向の内回り電車も少しずつすれ違いが増えて来た。数人の乗り降りがあり、辺りはようやく闇の帳から空が白みかけてきた。 

「お待たせしました。2番線のドアが閉まります」ホームの頭上から女性の案内テープが流れてドアが閉まった。田崎はマスコンレバーを強く引いた。「速度60」京浜東北線・山手線・高崎・東北線・常磐線と幾重にもレールが走っていて暗闇の中からヘッドライトを点けた電車が不意に近づいてきて賑やかになった。 

 御徒町を過ぎて上野に到着した。「上野です。東北線・常磐線・東北・上越・長野新幹線は当駅でお乗り換えです。3番線の電車は当駅で時間調整のためにしばらく停車いたします」上野駅から乗ってくる客は少なかった。かって上野駅は田舎から上京してくる人の出世駅と云われていた。急行「津軽」「十和田」など、東京への集団就職といわれた夜行列車は新幹線開業と共に消えてしまい、夜行列車はわずか北陸からの特急「北陸」だけという寂しさになってしまった。田崎はそんなことを考えていた。上野駅の発車のサインは発車メロディー(発メロ)でなく、昔風のベルだった。かって国鉄時代は発車ベルだったが、山手線内はベルはなく、今では東京駅の東海道線の普通電車7,8番ホームと快速、遠距離電車特急寝台特急が発着する9番、10番線のベルを除いてほかの駅はソフトな特徴を持った発メロに変わった。 

 「3番線のドアが閉まります、次は御徒町に止まります」ドアが閉まると田崎は「御徒町延発2分」「出発進行」ここまできても品川駅延発はまだ取り返せなかった。田崎は「2分の延発、仕方がないよなあ」と思った。これが東海道線ならこの程度の遅れは取り返せたのだが、山手線は駅間距離が短く無理だった。 

 電車は神田を過ぎ・秋葉原に止まった。「秋葉原です、京浜東北線、総武線・つくば鉄道線・地下鉄日比谷線ご利用の方は当駅でお乗り換えです。」田崎は運転席から秋葉原の街を眺めた。「ここも変わったなあ、」戦後ラジオの部品屋として発足した通称ジャンク街がTV・AVの発展と共に世界でも珍しい総合電気街に発展したのだった。 

 京都の岸谷涼子もその一人だった。涼子は高校時代の友人が結婚するので久しぶりに実家に帰り、友達の結婚式に出たのだが、その帰徒、例の大雪で新幹線に閉じこめられ朝帰りになってしまったのだった。涼子の東京の家は池袋からさらに30分の大泉学園にあった。「主人と子供はどうしているかなあ、あの人って無きっちょうだから昨晩ご飯とかたべたかなあ、ああ、もう」と心配だった。考えたあげくバッグから赤いケータイを取り出してなにはともあれと電源を押したが充電が切れていた。「あたしってどうしてこうどじなんだ、もう」低い声でつぶやいた。 

 しかし、そろそろ九州からの寝台特急が到着する頃で今日も東京駅はまた活気を取り戻そうとしていた。田崎の運転する電車が到着し、ドアが開くと「昨日は東海道新幹線が雪のために大幅に遅れてご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます」と特別に放送していた。 

 時計は444分を指していてまだ闇のとばりに包まれていたが209系の京浜東北線が右側のホームに滑り込んできた。「間もなく4番線に山手外回り、秋葉原・上野・田端・池袋方面 行きが到着します。危険ですから黄色い線までお下がりください」中央線・京浜東北線・山手線・東海道線・東海道・東北・新潟・長野新幹線に地下には総武・横須賀線・300メートル離れて京葉線、さらに東京メトロ丸ノ内線と日本一過密な東京駅は1105万人以上の利用客を擁していたがまだ冬の朝は遅く夜があけるためか静寂さを守っていた。 

 ドアが閉まり、田崎がマスコンを手前に引くと電車は加速しすぐに東京駅に到着するのだった。東京駅ではそこでは、昨日東海道新幹線の関ヶ原付近で吹雪となり、相次いで列車が立ち往生し最終新大阪発ひかり号が夜中の1230分頃到着し、列車ホテルに泊まった乗客が今日最初の始発電車に乗り込もうとする人が多かった。 

 「有楽町ご乗車ありがとうございました」田崎はマスコンをニュートラルの位置に戻し外を眺めた。かってのデートの場所であり、有楽町で会いましょうといった有楽町広場は大きな変貌を遂げたなと思った。そごう百貨店が撤退し、そのあとに大型家電店が進出していた。ここから丸の内に掛けてはオフィスビルが同じ高さで立っていたが再開発と土地の有効活用で最近は一部高層ビルに模様換えしようとしていた。 

 「1番線のドアが閉まります。次は有楽町に止まります」ドアがプッシュと言って閉まった。ピンポン・ピンポン・ピンポンと3点のチャイムが鳴ると田崎は「新橋2分延発」「出発進行」「制限60」マスコンを手前に引くとたちまち60キロになったが前方に有楽町駅がもう見えてきた。わずか1,1キロの区間なのでマスコンを元の位置に戻し直ぐにブレーキを掛けて減速していくらかカーブした有楽町駅に入らねばならずベテラン運転手でも難しいといえる区間なのだ。山手線は全32駅ありどこの区間も駅間距離が短く、一駅平均1,08キロと中央線31駅平均1,8キロ、総武線21駅、2,8キロに比べても短かった。 

 「おっと、新橋か」座席で居眠りしていた寿司職人の矢田は眠そうな目をこすりながら、その放送に促されて「今日はいい寿司ねたが手に入るぞう」と心の中で思いながら立ち上がってドアの開くのを待ってホームに降りた。「新橋です。ご乗車ありがとうございます」さすがに新橋で降りる人は多かった。今まで車内のあちらこちらにぽつんと腰掛けて居た人が新たに乗ってきた人で座席がつながって人がこしかけるようになった左の窓から見る霞ヶ関までのビルも暗く、ただ街路灯と自動車のテールライトだけが延々と続いていた。 

 田崎は運転表の時刻と実際の時間を時計を見ながら「やれやれまだ2分延発か、遅れを戻すのは大変なんだよな」低い声で言った。「浜松町2分延発」「出発進行」「制限60」「信号よ~し」指査喚呼を行いながら電車は新橋に向かって走行した。「間もなく新橋です。東京メトロ銀座線、都営地下鉄線、ゆりかもめ線においでの方はお乗り換えです。新橋の次は有楽町です・・・・・」 新橋汐留口の高層ビルもまだ眠りについていた。 

 「田町停車」田崎はマスコンレバーを停車にブレーキを掛けながら徐々に減速させて停車位置に寸分の狂いもなく停車させた。「田町です。ご乗車ありがとうございます」「2番線の電車のドアが閉まります」電車のドアが閉まると田崎は「田町3分延発」「制限60」と歓呼してマスコンを手前に引いて電車は次第にスピードを増した。「間もなく浜松町です。東京モノレール、羽田空港方面は次の浜松町でお乗り換えです」「浜松町です。ご乗車ありがとうございます」そのアナウンスを聞いてコンサルタントの石塚は鞄を右手に持ってドアが開くのを待ってホームの外に出て行った。 

 「間もなく田町です。都営三田線・浅草線・都営大江戸線、はお乗り換えです。この電車は次は浜松町に止まります」5両目に乗っていた経営コンサルタントの石塚健一郎は、眠い目をこすりながら「次は浜松町だなあ、北海道の札幌日帰り出張はきついよな」書類を鞄から出してページをめくりながら、「何とかしてこの案で了解してもらわないと」低い声でつぶやいた。彼は同僚の増本と空港で逢って、羽田発6時全日空102便札幌経由で千歳空港に向かうことになっていた。 

 右側には広い品川車輌区があって、113系に変わって東海道線のE231系をはじめ 211系、ダブルデッカー車のE215系をはじめ遠くには九州・山陰の寝台特急がまだ構内の照明灯に照らされて眠りについていた。品川から田町までのこの区間は山手線でも約2キロ以上の最長距離区間であるが京浜東北・山手・東海道腺に新幹線と列車が頻繁に走ってくるめまぐるしい区間ではあるがまだ午前5時前ではほとんどその列車の姿も見えなかった。「あのラッシュアワーのすさまじさが嘘のように静かだ」田崎はそう思った。 

 電車は始発電車なのでほかのJRや私鉄の京浜急行の連絡待ちのせいか品川駅に止まっていた。そのとき地下の階段から人の塊が車内になだれ込んできた。田崎はじっと前方を見つめていた。前方彼方に一筋の光が見えたと思ったらヘッドライトを二基つけたE231の内回り電車だった。「お待たせしました。1番線のドアが閉まります、次は田町です」女性の駅アナウンスに促されるように「品川4分延発」「制限30」「出発進行」マスコンのレバーを手前に引くと再び電車が動き始めた。制限速度30キロを維持しながら構内を離れると「制限解除」「速度90」田崎は思いきってマスコンの位置を5まで引いた。時速90キロ、山手線内で唯一の高速運転が出来る区間だった。 

 妻にもケータイで「今夜は遠藤部長の栄転の送別会があって、多分遅くなるから先に寝ていて、じゃあ」とホテルの会場で話して以来交信しなかった。身を突き刺すような張り詰めた空気で遠藤は酔いが醒めて「家ではさぞ心配してるだろうな」と云った。時計を見ると425分だった。遠藤は鞄の中からケーターを取りだして電源を入れて局番を入れたが「まだ、430分過ぎだし反って寝てる妻を早朝から起こしては逆効果だ」そう考えながらケータイを元の鞄にしまった。 

 品川駅では今日一番の始発電車に乗り込もうとしていた人たちが待機していた。島本秀夫もその一人だった。島本は昨日、遠藤部長が札幌支店長に転勤するために開発二課全員が出席して送別会をホテルで行ったあと、同僚4人と酒場で飲んで、つい山手線の最終電車に乗り遅れたのだった。やむを得ず駅前のビジネスホテルに宿泊し、そのまま会社に行こうと思ったのだが、いったん巣鴨の自分の家に帰って朝食たべてきちんと身支度をそろえて丸の内の会社に出勤しようと考えを変えた。 

 「次は品川です、東海道線・総武横須賀線・京浜東北線に京浜急行線それぞれ次の品川でお乗り換えです・・・Soon will be maked berief stoped Shinagawa toukaidou Line・・・・」田崎は「制限60」「制限50」「品川停車」そういってマスコンレバーを手前に少しずつ戻した。電車は緩やかにスピードを落とし品川駅1番線ホームに滑り込んだ。 

 しかし、それ一回だった。母の桃子は、「真一が会社を辞めてまで跡を継ぐと行っただけでも、なかなかお父さんの職を継ぐなんて云う子はいないよ、あまり厳しくすると真一が逃げるわよ」と同情して云うのだった。「まあ、しょうがないか」矢田はそれ以上何も言わず寿司ネタの仕入れはしばらく一人ですることにした。 

 「真一、今から一緒に寿司ネタ仕入れに築地にいくからおまえも起きてついて来い」と寝ている真一に声を掛けた。真一は、「お父さん、今何時」と云いながら隅の時計を見た。「わっ、俺堪忍してよ、せっかく爆睡してんのに」「何をいってんだ、真一今日から寿司やになるんだろう、さあ起きて起きて」「わかったよ、起きるよ」真一は不承不承起きて顔を洗い、歯を磨きブルゾンを羽織って父について行った。 

 最初は息子の云うことを信じて居た。息子にしっかりした寿司職人になってほしっかったし、あとを継ぐと云うからには自分がさんざん苦労して覚えた技を息子大輝には苦労しないで覚えてほしいと大変な力の入れようだった。寿司のネタは築地市場に朝早く起きて出かけて誰よりも新鮮な材料を仕込んでくるのが一番大切だと考えていた。それで息子の真一を最初の朝に起こして築地の市場に連れて行った。 

 座席に腰掛けて居るすし職人は昨日のことを想いだして居た。というのは息子の大輝が勤めて居た会社を辞めて家業の寿司屋を継ぐというのだった。矢田は息子が自分の店のあとを継ぐと云ったことを喜んで居たのだった。中学を出て直ぐに寿司やに奉公して辛い寿司職人の修行をして35歳の時やっと独立してお客にも恵まれて寿司屋のほかに海鮮料理レストランを別に持って居た。 

 「大崎定発」「信号よーし」「出発進行」「場内制限15」電車は構内を過ぎると「制限解除、速度60」田崎は次々と喚呼してコントロールレバーをゆっくり手前に引いた。電車は早くなりVVVS方式の独特の音をさせながら走行した。そうそう、これも放送しなければ、車掌の森下はマイクを握ったまま「お客様にお願いします。車内でのケータイ電話のご使用は優先席近くでは電源を切ってご使用はご遠慮ください。なおそのほかの車内でのご使用はマナーモードでご使用くださいますよう、みなさまのご協力お願いいたします」森下はそう言い終えるとマイクのスイッチを切った。 

 「おはようございます。本日もJR山手線をご利用くださいましてありがとうございます。この電車は外周り品川・新橋・東京・秋葉原・上野方面です。なお運転士は大崎車輌区の田崎祐司・車掌は森下光男です」とテープを使わないで乗客に放送した。ミュージックサイレンが鳴り、駅のホームの女性の案内放送が「2番線のドアが閉まります」と優しい声で案内した。田崎は前方をじっと見つめていた。まだ、闇に包まれて3灯式信号機の表示が赤から注意、そして緑に変わった。 

 その中にすし善の矢田純蔵もいた。始発電車はライトをつけてしずしずと大崎車輌区側から2番線に入線してきた。「大崎、大崎です。2番線の電車は始発電車、429分発品川・新橋・東京・秋葉原・上野方面行きです」、乗客が電車に乗り込んだ。冬の車内は暖房が入れられたとはいえ寒々としていた。矢田も座席に腰掛けたものの座席に埋められたパネルヒーターの座席の下に足を寄せて暖を取ろうとしていた。 

 駅のホームでは、「おはようございます、本日もJRをご利用くださいましてありがとうございます。間もなく始発電車内周り、品川・新橋・東京・秋葉原・上野方面行きが2番線に入って参ります。危ないですから黄色い線までお下がりください」時計は420分を過ぎていた。さすがにまだ電車を利用する乗客は少なく肩にかごを掛けた築地市場のせりに出かけるジャンパー姿の仲買人、職人が目立った。 

 これから眠っている車輌に息を吹き込んで電車を走らせると思うと一瞬緊張するのだった。コントロールレバーのスイッチを入れブレーキ、マスコンの加速・減速の調子をテストした。圧力計に次いでパンタグラフの昇降テストのあと、さらにATC作動テストと相次いで行った。一方、車掌の森下は最後部車E231053の乗務員室の鍵を開けて車内に入り、ドア開閉のテストを行った。次いで案内放送のテープのスイッチを入れた。女性の声で「次は池袋です。埼京線・湘南新宿ライン・西武線、東武線、東京メトロ丸の内腺・有楽町線はお乗り換え・・・・・」森下はスイッチを切った。「大崎なのになぜ池袋」そう思いながら駅名案内を品川になるように調節した。すでに大崎駅では始発電車に備えて通り抜けの通路のシャッターを開けて、切符の自動販売機も作動するようにスイッチを入れられていた。 

 1輌ずつ見回りながら11輌最終車輌にきたとき車掌の森下光男にあった。「おっご苦労さま」「田崎先輩よろしくお願いします」「こちらこそ、今朝はやけに寒いが頑張っていこう」田崎は最近白髪が目立つ髪の毛を気にしながら帽子を脱いでかぶり直し、あご紐をきりりとしめた。森下が乗務員室のドアの取っ手に手を掛けて鍵を回して戸を開けて田崎もそれに続いた。森下がパンタグラフのスイッチを押してあげるとモーター音周りだし室内灯が点灯し張り詰めたような冷たい空気が流れる車内を歩いて11両目を歩き先頭車車輌E231030に戻り、乗務員室のドアを鍵で開けて運転士室に入った。 

 「皆E231に変わったなあ、僕がかわいがっていた205340は元気に働いているだろうか」田崎が15年も運転していた205系も取り替え時期が来てかなりの車輌が仙石線に配属換えされたのだった。E231系は205系の次世代電車と云われているが山手線に配属されてまだ3年目だった。低い声でつぶやきながら電車の足回り下を覗いた。 

 冬の明け方、吐く息が白いそんな寒さを運転士の田崎祐司は大崎電車区のまだ眠りについている電車に今日の乗務をするためE231090の点検に掛かった。 

東京の大動脈、一周45分の環状線「山手線」始発電車から終電車まで朝・昼・夜いろいろな人が利用している。そこに色々な人間模様が見えてくる。「山手線」は、運転士の喚呼・車掌・女性テープの案内・駅の案内などを忠実で究極の真面目な鉄道を再現させたい。一方それとは対照的に朝・昼・夜と時間でどんどん変化していく自由な乗客の回顧・独り言・複数以上の会話、それは断片的なものであるかも知れないがともかく「山手線」は今日も色々な人々を乗せて走る。ここに出てくる山手線は実在しますが物語はドキュメントであり登場人物は実在しません。

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鉄道車両博物館「NEX」成田EXPRESS

Nexscr00000国鉄末期時代に成田国際空港に最速アクセスで外観が赤色に黒色というデザイン的にも優れた車両であり、外国観光客・ビジネス客にも対応できる車両といえます。

運行系統は池袋・新宿ー成田空港間、大船・横浜ー成田空港間で最大12両、最小3両で観光旅客需要、時間帯によって調整されています。

各車両のドア入り口付近には大型トランク・バッグなども楽々収納できるスペースするために登場した車両で外観が赤色に黒色というデザイン的にも優れた車両

運行系統は池袋・新宿ー成田空港間、大船・横浜ー成田空港間で最大12両、最小3両で観光旅客需要、時間帯によって調整されています。

各車両のドア入り口付近には大型トランク・バッグなども楽々収納できるスペースがあって空港特急にふさわしい。

このように外観、室内装備はよいものの普通席とグリーン席の差が著しく問題があるように思われます。

グリーン席は片側一列の超ゆったりした配置ですが、普通車ではクロスシートであるもののボックスシートで家族同伴の旅行には便利であるが見知らぬ人と一緒になることもあり一部は固定されていて座席が空港特急にしては世界各国の車内装備の典からも顧客サービスの面からもリクライニングシート、転換シートに改善する必要がありそうです。

さらにNEXは特急で東京以後成田までノンストップであるものの快速の成田空港行電車と到達時間がさして変わらない点が問題といえましょう。

さて実際に新宿・横浜から成田空港まで乗車した印象では、特急とはいうものの線路輸送需要の限界があり速度も遅く東京から総武線を経て千葉に至ってやっと速度

が早くなり全体的には空港専用線がなく既存路線を走行するため速度に限界があるのが問題といえそうです

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鉄道車両博物館「モハ103系」

M103001_5 103系は1963年から1984年の21年間にわたって製造、101系の後継車として生産されてその車両数は3000輌に達し、首都圏、中京圏・関西圏の大都市はもとより全国各地に配置されました。
路線区ごとに中央線・大阪環状線はオレンジ、京浜東北線・関西の東海道線・阪和線はブルー、山手線・奈良線はグリーン、総武・南武線・宝塚線はイエローという具合にカラーコーディネートされて配属されました。
外観デザインは101系を踏襲されていますが、初期型と後半型に分けられ後半投入車輌は前面運転台の窓が高くなり高運転台型と名付けられました。
常磐線の103系は15輌の長大編成で特に北千住ー松戸ー柏ー我孫子間は時速110キロ以上の激走を見せています。
松戸に当時住んでいましたので上野ー松戸間をこの103を利用しましたが北千住ー松戸間は車輌をがたがた云わせてものすごい勢いで疾走するせいかモーターのあるモハは床が熱くなるほどでした。
地下鉄千代田線に新型車が投入されると地下鉄用車輌103系が常磐線用エメラルドグリーンに塗装され直して大量に投入されました。
ちなみに地下鉄線用103系は前面貫通ドアでした。
一時は3000輌の多い車両数があった103系も後継車201系、205系が登場するに及び次第に地方路線、仙石線、大糸線、呉線、などに配属されて大都市圏ではその姿を見なくなって来ています。

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鉄道車両博物館➀

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国鉄113系電車

日本国有鉄道時代の1962年に直流型近郊型電車として生産されました。

これ迄の2ドア80系・153系では朝のラッシュ輸送に対処できず1963年から1982年の間に約2900輌も生産されました。当初は大都市を中心として平坦地に配属されましたが113系の改造型として115系が急勾配の多い中央・上越線などにも配属されました。

長年113系は東海道線を走って211系とともに大活躍していましたが、今年3月で引退することになり新たにE231系が投入されました。

JRになってからも他の113系は各社がカラー塗装変更によって今も健在です。JR西日本、四国、九州とそれぞれのカラーに変更されましたが、私はいわゆるオレンジとグリーンの2色塗りわけカラーが113系ぽっくって大好きです。この2枚のCG(鉄道模型シュミレーターVR3使用静止画)見てもさまになりますし、東海道線から113系(熱海以東)は消えましたが、私のノートパソコンの大型画面には今日も113系が元気よく走っているんです。

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鉄道博物館「キハ58系」

東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~ Book 東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~

著者:リリー・フランキー
販売元:扶桑社
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Kh5809   鉄道エッセイを書く以上忘れていけないものに「キハ58」があります。長い間地方幹線の重責を担ってきたこの車輌も全国で引退間近ともいわれています。
日本の気動車は歴史は古いのですが戦前は個別制御方式でせいぜい単車か2輌連結でしか走れませんでした。従って輸送能力がなく気動車もローカル線のごく一部に使用されたそうです。車輌ごとに運転台があって何しろ牽引能力が劣りそれぞれの車輌に運転手が乗って協調運転をしたそうですが加速・減速が時には合わないなどで運転が難しかったそうです

戦後大都市中心に急速に電化が行われて列車に変わって電車が主役になりましたが
東北・房総・北陸・四国・山陰・九州など地方が取り残されそこで国鉄近代化を進める必要が生じてそこで地方幹線でも大量輸送できる総括制御方式車輌としてキハ20が誕生しました。
これによって多数の車輌を牽引することが出来て中には10輌編成という長大編成が誕生しました。
この頃房総地区は非電化区間でキハ20は大いに活躍し今はない両国駅には銚子・木更津・館山方面への気動車が何本もホームに止まりまさに房総地区は気動車王国でした。
キハ58は地方幹線のスピードアップを図って急行列車専用に開発されました。
車内のアコモデーションも改良されて座席も長距離運転にふさわしいようになりました。
キハ58の運用方法として例えば山陰線の急行三瓶は博多発米子行ですが下関で分割し一つは山陰線経由、他方は山陽・山口線経由で異なる路線を走行、萩で再び併結運転して米子に向かうというユニークな形が取られ面白いと思いました。
僕も地方の仕事の時にキハ58によく利用したものです。
鉄道ファンの根強い人気があるようですがあの独特の停車中のエンジンのアイドリング音が旅情を誘うのです。
「がりがりガリ」という感じのあの音です。
ベルが鳴って「フォーン」とのどかな汽笛音がするとエンジン音が急に高まってそれと同時に重い車体音がして少しずつ加速していきますが普通の人から見れば騒音がファンにはたまらない一種独特の音なのです。
トンエルを潜るとき窓を開けて置くとすさまじいエンジン音と重油のほのかな臭いが窓から入って来ますが僕にはこれがキハ58らしくて好きです。
やがてオルゴールがなって車掌の放送が始まるのですがどうして音が調子外れなのかわかりません。
やがて線路を刻む音が「たたらたったたん」という単調な音が続くのですがなぜかこの音が素晴らしいです。
停車駅のかなり前からブレーキを掛けて減速させないとキハ58は停車できないようでこの時身体全体に「ぐぐぐぐ」という強い抵抗音を感じるのですがこれも独特のものがあります。
国鉄時代の車輌は鋼鉄製でキハ58も鉄の塊のような車輌なので加減速が劣っているのでしょう。
僕はこの音が好きで津山線、岡山ー津山間の市販のCDをたまに聞いて寝ます。
最近のVVVFの音に比べてメカニックな音が魅力があるのかも知れません。
国鉄民営化とともに新型気動車が投入されてキハ58もその主役を譲りつつありあるものはジョイフルトレインに改造されたりあの長大編成は見ることができなくなって単車で2~3輌編成で地方路線を駆け抜けています。
キハ58への想いはいろいろあり国鉄の名車だと思います。

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鉄道車両博物館「100系」新幹線

Sk100m  新幹線が開通して初代01系に変わって1985年10月より高い旅客サービスの向上、よりグレードアップされた乗り心地と快適性を提供するために新たに100系新幹線が東海道・山陽新幹線に投入されました。
初代新幹線01系から100系にはじめて乗ったときの胸の躍る感激はいまだに忘れられません。
東京駅の新幹線ホームを100系を見ながら歩くとひときわ高いダブルデッカー車が挟まれていて普通車も座席、車内のアコモデーションも良く高さ、広さの面から今のどの車輌よりも素晴らしかったです。
車内に入りやがて四点チャイム、ピン・パン・ポン・パンと鳴ると
「おはようございます、本日もJR東海をご利用くださいまして誠にありがとうございます。この列車はひかり3号新大阪行でございます。次は新横浜に着きます。
新横浜・名古屋・京都・新大阪の順に停車します。・・・・・・・・・・・・・・
続いて「Ladys & gentlemen,Wellcome bord Tokaidou Sinnkansen.This is Super Express Hikari3 bound for ShinOsaka,Next is Shin Yokohama Thank you.」という日本語・英語の案内を聞くともう新幹線だなあと背中がぞくぞくきてました。
これまでの01系に変わり飛躍的に旅客サービスが向上し車内のゆったりした座席と二階建てグリーン車(ダブルデッカー)の優越性・食堂車、のちにビュッフェ車など、どれを取ってもハイグレード感一杯でした。

100系新幹線の売り物は明るくて広い食堂車が連結されていたことです。
よく富士山の眺望を楽しみながら洋食や日本食を楽しんだものです。
おいしい食事を友人と楽しみながらしばし忙しいビジネスの癒しになりました。
この食堂車はのちにビュッフェ車になってとうとう人件費の節減、要員確保の困難から食堂車は姿を消してしまいつつありますが、僕には何事も効率が大切だとなると潤いのある旅はなくなってしまうと考えるのですが
当時、関西に出張する機会がありよく新橋のチケットセンターで安売りグリーン特急券を買い求めて二階建てグリーン車に乗ったものです。
車内でゆったりした座席で書類に目を留めたり美しいSPSパーサーにワインを頼んでレポートを友人と書き加えたりビジネスの場としても活用出来てそんな仕事の場として忘れられない100系がとうとう2003年9月16日東海道線のひかり309号を最後に引退したときは感傷的になりました。

また、TBSでJR東海の全面協力を得てTBSテレビドラマ「新幹線物語・夏93」(主演・小林捻侍・宮崎ますみ・岡田奈々・池上紀美子・丹波哲郎ほか)が放映され全作新幹線100系を舞台に車掌長・SPSパーサーの乗務員とそこに乗り合わせた乗客との心温まる活躍を描いてこの面からもいかに100系新幹線が人気が高かったかがよくわかります。
今東海道線には後継車として300系・700系などが疾走していますが速度を重視するあまり天井が低く車内の広さもかっての100系に及びません。
そういう意味でも僕にとっては新幹線100系は忘れられない名車といえます。
さてあなたにとっての100系新幹線の想い出はどうでしょうか。

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鉄道車両博物館東武鉄道特急スペーシア

2006年12月28日 (木)

現代の鉄道車両東武鉄道特急「スペーシア」

Dsc

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鉄道博物館「201系」

2006年6月11日 (日)

Photo_5      昭和54年(1979年)国鉄が初の本格的な高性能電車の開発に乗り出し201系としてまず中央線に電機子チョッパー制御・電力回生ブレーキを装備した省エネルギーにふさわしい次世代時代の試作車を投入させました.
私も201系の高性能電車が1編成完成し原宿駅構内で展示運転会を見学に行きました。
登場時、前面黒マスクの顔、オレンジ系の暖色シート、ラインフロアー式空調装置、空気バネ台車、紫外線カットのスモーキー窓など特色があります。
試作車ではドアのガラス窓と戸袋のガラス窓が上下位置がずれていましたがファンと当時の国鉄広報部、エンジニアが出席されて意見交換会が開かれましたがファンがそのことを指摘すると量産車からは位置をそろえるようにするとの回答があって2年後の量産車からはそのようになったことを覚えています。
その頃私鉄は相次いで高性能電車を投入していましたが、まだ全国に3000輌ともいえる大量生産による首都圏の輸送は東京5方向作戦と称して複々線化やラッシュ時の増発をおこなったものの輸送限度に達し、この上は駅間を高加速高減速で走行し時間短縮による増発しか方法がなく、中でも需要が切迫している中央線に201系電車としてまず投入されました。

Photo_8 2年後の昭和56年(1981年)量産車が登場し、昭和57年(1982年)中央・総武緩行線に黄色、東海道・山陽緩行線に水色の201系が登場しました。
しかし登場以来25年以上を経過しており、今年中にはいよいよ中央線に次のE233系電車が投入されることになり、すでに中央線の201系もJR西日本の大阪環状線に転用されつつあり時の流れを感じます。

12月26日から201系の後継車としてE233系新型電車が走行しはじめましたが、今後急速に201系に変わって投入されるとのことです。
ところで下の画像201系ですが、新幹線と隣り合わせでしかもビルの林立する通りを走行していきます。
こういう光景は絶対にあり得ないことですが鉄道模型シュミレーターVR3を用いて作って見ました。18d94a41d5952f44730b76791f9e8e34_1

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる

著者:梅田 望夫
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ベスト・ジャズ100 Music ベスト・ジャズ100

アーティスト:オムニバス,ジュリー・ロンドン,ジューン・クリスティ,チェット・ベイカー,エラ・フィッツジェラルド,ナンシー・ウィルソン,ジョー・スタッフォード
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プロフィール

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フリー鉄道写真(実験中)

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東京電車小さな旅

東京駆け足電車小さな旅

201_2 暮れも押し迫った12月28日、わずかな時間を利用して東京の駆け足電車の旅に出かけました。コースは

横浜から東海道線で秋葉原へ、まず、さらに高架になった東京駅中央線ホームに出かけて急速に引退しつつあるオレンジ色の201系を撮影します。JR東日本ではこの26日から後継車E233系が投入されたせいか、ホームの神田より先端に数人の鉄道ファンが望遠レンズを持って様子を見守ってるようです。私もかって201系が1編成だけ201-901試作車として中央線に投入されたとき丁度その201系が入ってきたのですが反対方向であったため折り返しを約50分もホームで待ったことがありましたが彼らもその部類かも知れません

そこでヨドバシカメラに寄って、私がいまはまってる鉄道模型シュミレーションVR4を買い求める。今度のソフトは鉄道車両も一段と精細になってさらに夜間は照明がついて建物なども灯りがともって夜行寝台運転にはふさわしい情景がPC上で演出できるからです。さらに列車の駅での分割・併合も可能になって2つの列車として異なった路線を走ることが出来るなど、大きな変化が盛り込まれています。

Photo

ただCGが精細になるほど、2年前に買った私の東芝ノートQuosmio17インチワイドAVノートも重くなりなかなかプログラムが起動しないのが欠点です。

電化店として日本一の売り場面積を誇るヨドバシカメラには新型PCが豊富に陳列されていますが見ると惜しくなるので早々に退店してこれから私の東京駆け足電車小さな旅が始まります。

で、コースは、秋葉原ーつくば鉄道ー北千住ー東武鉄道ー浅草ー東京メトロー神田ーJR-東京ー横浜に戻ることにしました。店を出て秋葉原駅よりにつくば鉄道に通じるエレベーターがあります。数人の利用客と改札口に向かうのですがさすがに深く地下6階くらいの深さはあるでしょうか。自動券売機で北千住まで買いました。自動改札を通るとさらにホームに通じるエスカレーターが出ています。これだけの深さなら核攻撃にも耐えられるのではないかと勝手な推察をしているうちにつくば鉄道の島式ホームが一面横たわってPhoto_1います。

電車は各駅停車が途中の守谷駅でつくば中央までの電車は快速運転もあります。秋葉原を出ると仲御徒町を経て浅草に着きます。浅草駅は東京メトロ・東武浅草駅・都営地下鉄浅草駅とちょっと離れているようで浅草歓楽街の六区にあります。

電車はさらに南千住を出るとJR常磐線に並行して地上に出て荒川を渡りまもなく北千住に着きます。かって私は松戸に住んでいましたがその頃に比べて北千住の駅の変貌にすっかり驚いてしまいました。JR常磐線を中心に東武線・東京メトロ地下鉄日比谷線・同じ千代田線にさらにこうしてつくば鉄道が加わったのですからもう一大交通ターミナルを形成してるといえます。

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さていよいよ東武鉄道に乗り換えて浅草まで向かいます。北千住始発浅草行きに乗って乗客の少ない車内でのんびりと電車の車窓を楽しみます。行き交う電車が実に多彩です。以前東武鉄道は、浅草が終点でした。なにか特急スペーシアを除いては地味なイメージを持っていました。それが東武鉄道・東京メトロ半蔵門線・東急線と実にいろいろな形式の電車が走っています。途中曳舟駅で降りていろいろな車輌をデジカメで撮影することにしました。

ふと見ると東急田園都市線が10輌という長さで南栗橋のほうに向かって出てゆきました。横浜に住んでいるので東急線はもうおなじみですがここ東武曳舟駅で見るとなにか神奈川からはるばるお前はやってきたのかと声をかけたい気持ちになります。東急線で神奈川県中央林間から埼玉県南栗橋まで走る一都二県のこの路線は東京でも最長区間になるかも知れません。東急線は10輌編成なのでこのホームぎりぎりまでいっぱいに停車します。こういうことも以前の東武では考えられなかったことです。

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ここで東武線区間準急の16000系浅草行きがやってきました。さらに東急田園都市線の新型車輌もやってきます。しばらく何枚か写真を撮ったあと終着浅草に向かいます。

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浅草駅は隅田川を渡ると浅草松屋百貨店の2階に食い込むように電車はおおきくカーブしたホームぎりぎりに停車します。

ここで今日一番の東武ご自慢の日光・鬼怒川に行くデラックス特急スペーシアを撮ろうという魂胆です。

向かい側ホームに特急スペーシアを見たときはまるで恋人にあったような一瞬胸キュンとなってしまいます。どうやらこれから出発のために準備しているようで乗客の姿はまだ見えません。いちばん後ろから特急全体が入るように位置を決めて写真を撮影しました。横浜往復の東京電車の4時間の小さな旅はかくして終わりました。

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鉄道模型レイアウトの楽しみ

鉄道模型を作って部屋いっぱいにレイアウトを展開して電車とか列車を走らせるのは鉄道ファンにとってはとても楽しいものです。しかし家が大きいならそれも可能ですが、日本の住宅事情は悪くどうしてもその夢をかなえることができません。

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それでもどうしても鉄道模型を走らせて見たいと思う人のためにPC上で自分の好みのレイアウトを作成して、場合によっては実際の駅とか路線とかを再現することができるのです。いろいろな数多くの車輌(20輌編成まで可能)線路、鉄道施設、駅設備、ホーム(対向式・島式)車庫、構内の全ての施設、橋梁、トンネル、建物、超高層ビル、樹、畑、水田、川、湖、海、道路、案内標識、高架線線路、地形編集など微細に渡っていて、自分で頭に描きながらレイアウトできます。

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しかも、完成した車輌は全面運転室展望・頭上・仰角・右・左、頭上などスイッチ一つで切り替えられます。このCGは113系が2編成駅に止まっていてキハ110系が左側に見えますが、実はこのレイアウト、架空 の感じで中央部分は山岳・渓谷を走るローカル線で、その外側を都会風の建物を眺めながら走るという二段構えになっています。また、カメラがあって選択して好きなところにおいて列車が来ると切り替えるを選択すると、カメラが列車をある地点まで追いかけます。さらに天候の選択も自由で春の情景・曇りの日、夏の日、雨の日、秋の夕暮れ、冬の雪の日と選択豊富で、鉄道模型の及ばない分野まで楽しむことができるのです。なにかI,MAGIC COSMOS社の宣伝になってしまった面がありますが、実に変化にとんだレイアウトを作成して楽しむことができるのです。

CG1はキハ58から全面を展望した光景です、DL(左)2連がイベント列車を牽引して入線してくる光景です。CG2は渓谷を登って行くキハ58DLを模型鉄道の視点から眺めた光景でこのままの位置で走行していきます。CG3は113系と左側にはキハ110系が見える構内風景です。CG4は右の車窓から見た渓谷の光景でこれから列車は次第に上って行きます。渓谷を感じさせる川は上流・中流・下流と選択できて岩の多さで知ることができます。

しかもこのレイアウト標準サイズから最大20メートル換算の広さまで可能ですから速度の速い新幹線も可能です。

ところでこのVR3シリーズは、現在7本出ていてそれぞれ鉄道車輌とテクスチャーが組み込まれて価格は4千円から6千円くらいで全部買うと4万円くらいになります。でもうれしいことに初心者向きに「はじめよう鉄道模型シュミレーションが2千円くらいで1車輌が組み込まれているのでどういうものかを知ることができます。収納車輌はJRが主体で私鉄も含めると80種くらいあるようです。

私が今レイアウトを作成してみたいものとしては、横川ー軽井沢の碓井峠越えです。そのほか横浜駅付近、大阪駅付近、箱根登山鉄道沿線、阪急梅田駅・宇野ー高松の瀬戸大橋など手がけたいですね。

I.MAGIC COSMOS社   http://www.imagic.co.jp/

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